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ボトムプラウの未来技術遺産選定に際して

弊社が開発しましたボトムプラウが、国立科学博物館より重要科学技術史資料(未来技術遺産)に登録されました。農業用作業機としては初めての登録であり、登録されている日本固有の優れた技術の数々の一つとして名を連ねることが出来る事は大変光栄であり近代農業の発展への寄与が認められたことを大変喜ばしく感じております。

この登録に際しては、【かはく技術史大系(技術の系統化調査報告書)】として「反転鋤込み耕(ボトムプラウ)技術の系統化調査」を編纂された田辺義男氏(元スガノ農機 常務取締役)のご尽力にも深く感謝致します。

登録された二つの製品は弊社にとっても、当時の農業機械業界にとっても非常にエポックメイキングなものでした。この機会に、それぞれの機種についての開発背景について簡単に触れさせていただきたいと思います。

2017年度登録 「重要科学技術史資料(未来技術遺産)」

http://sts.kahaku.go.jp/material/

かはく技術史大系(技術の系統化調査報告書)報告 第23集2016年3月

http://sts.kahaku.go.jp/diversity/document/report.php

●未来技術遺産とは

国立科学博物館が2008年度(平成20)から実施している「重要科学技術史資料」の登録制度で、「未来技術遺産」とは登録された資料の愛称です。過去の科学技術史資料のうち未来へ引き継ぐべき遺産であるという意味で名付けられました。重要科学技術史資料とは、科学技術史において重要な成果を示し、次世代に継承すべき意義をもつ技術、あるいは、国民の生活や経済に顕著な影響を与えた技術であり、日本の全科学技術を対象に歴史的な貢献がなされた技術を評価し、その保存と活用を図ることを目的として登録が行われています。

 

1.上下反転自由プラウ(畜力装輪リバーシブルプラウ)

上下反転自由プラウは、畜力装輪リバーシブルプラウという呼び名の方が一般的かもしれません。

第二次世界大戦中は、言論統制による検閲等で海外からの技術情報は皆無でしたが、昭和20年(19458月の終戦を契機に、様々な情報が入手できるようになり、それらのデータと北海道での畑作物の10アール当たり収量を比較すると、殆どが2分の1であり、農業技術の水準はヨーロッパに20年は遅れていたという現実に愕然としました。

何とか遅れを取り戻そうにも、ヨーロッパで主流のホイルトラクタは、家を一軒新築出来るほど高価であり、さらに当時の我が国は外貨にも乏しく簡単に輸入することが叶いません。そこで、先ず畜力機械の開発改良に取り組むことになったのです。

戦時中、農家は耕馬を飼育すると共に、軍馬の補充も兼ねる多頭飼育を行っており、非常に優れた改良も進んでいましたので、けん引動力源としての馬匹は現実的に優れた選択であったといえます。

土を反転させるボトムを大型化し、フレームの上に座席を設け、歩行しなくても耕起作業が出来るサルキープラウなども開発されましたが、傾斜地用プラウの開発に際して、出来るだけ土壌が傾斜の下側に流れ落ちない技術改良が、高水準な畜力装輪リバーシブルプラウ開発へと繋がっていったのです。

弊社本社工場(北海道上富良野)周辺は、傾斜地が多く、以前から畜力装輪リバーシブルプラウに着目し開発に取り組んでいたことから、昭和25年(1950)頃から始まった各社の新製品性能比較試験でも注目を集めました。

今回選定となった「上下反転自由プラウ(畜力装輪リバーシブルプラウ)」は、昭和27年(1952)に開発され、順次耕での作業効率の高さが大きく評価されました。

しかし、畜力からトラクタへ動力源の移行が加速度的に進み、多くの農業機械メーカーが畜力を活用した作業機械の改良開発を中止したため、畜力プラウ最後の改良機となりました。こんなことから、日本の農業機械史を語る上で重要な農業作業機の一つとして位置づけられています。

 

2.プラスチックプラウ

昭和26年(1951)から15馬力程度のホイルトラクタの輸入が始まり、作業効率が高まると共に、ボトムプラウによる深耕と反転鋤込耕が一般的に行われると単位面積当たりの生産性が著しく向上しました。さらに、昭和30年(1955)頃から、様々な農業資材の改良も進み、それらの効果が大きい馬鈴薯や甜菜という根菜類の収量は倍増しました。

しかし、プラウ耕は、撥土板への土壌付着が最大の難点でした。土壌が付着するとけん引抵抗が増すだけでなく、反転・鋤込み性能も悪化し、整然とした耕起が出来ません。これを改善するために数多くの改良が試みられましたが、なかなか満足いく効果に結びつきませんでした。そんな中、撥土板への塗装試験を行っていると、テフロン系の塗料で土壌の付着が格段に少ないことから、プラスチック板の使用を検討することになりました。

開発を進めていた昭和35年(1960)頃のプラスチックは、非常に高価で種類も豊富ではありませんでしたが、各地の土壌と何種類かのプラスチック板とのマッチングを行い、そのデータをプラスチック板メーカーと共有することで、土壌付着と耐久性のバランスに優れるボトムプラウ撥土板用の素材が完成し、昭和38年(1963)に実用化に成功し、プラスチック撥土板時代を迎えることになりました。

当時の我が国は高度経済成長のまっただ中。労働力が都市部に求められたことから、農業に見切りを付けた人々の離農が増え、一戸当たりの経営面積が拡大しつつありました。その頃のトラクタは30馬力が主流でしたが、作業効率向上にむけて、80馬力級の導入も徐々に始まっていました。

その流れから、昭和50年(1975)代には、100馬力級トラクタの時代が予測されましたので、農業研究機関では、昭和48年(1973)から100馬力級トラクタによる一貫体系構築に向けた試験に取り組むことになりました。

その中でのボトムプラウは、作業能率を一層向上させるため、16インチ×4連(耕幅1.6メートル・耕深28センチメートル)という今までにないサイズでの開発でしたが、プラスチック撥土板による土壌付着性の低減から、けん引抵抗が軽減され、100馬力級で容易に耕起作業が行えるものになりました。

私が道立十勝農業試験場 農業機械科長としてその試験に関わっていたおり、試験機のメンテナンスをスガノ農機に依頼すると、「スガノ農機として始めて世に出した多連プラウなので、記念に保管したい。新たな改良機と交換して欲しい」との話があり、試験機の返却がなされましたので、今回選定され土の館に展示されている製品は、弊社にとって記念すべき多連プラウ、正真正銘の一号機ということになります。

 


 

今回の選定を振り返りますと、昭和38年(1963)プラスチック撥土板の開発、昭和48年(1973)多連プラウの開発と高速型フレーム構造の改良、昭和58年(1983)トラクタ用リバーシブルプラウの開発というように、当時のプラウは10年周期で大きく変革して来たことに気付かされました。

時代が変わると共に環境も変わり、その変化に即した製品開発が農業機械メーカーには望まれます。微力ではありますが、今後も農業の発展に寄与できるよう弛まぬ努力を続けて参りますのでよろしくお願いいたします。

 

スガノ農機 代表取締役社長

村井信仁