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耕すことの四方山話

26 不練耕法

平成2年、中国で稲作の技術指導をして、収量を4倍にしたことで知られる原正市さんを北海道土を考える会が講師として招きました。原さんは道立農試で稲作研究に携った後、専門技術員となり技術指導をしていました。昭和54年に中国農業を視察に訪れ、57年から中国での技術指導にあたりました。

我が国では昭和40年代に入り土付き苗が開発され、田植機で省力的に移植できるようになり、この新しい栽培法の開発に品種改良が相俟って収量が倍増したのです。原さんはこの技術をひっさげて現地に赴きました。

東北三省の稲作は日本式稲作を踏襲したものでしたが、殆ど技術改善が行われず、水稲の収量は、昭和30年代の我が国の収量の二分の一以下であったのです。

原さんは我が国の技術を紹介しようとしたのですが、現地には保守的な人が多く、かなり苦労したようです。しかし、持ち前の辛抱強さで、自ら水田に入って指導して、徐々に実績が認められるようになってきました。

やがて、我が国と同じ水準の収量に達すると神様扱いになりました。

土を考える会に講演に来てくれた平成2年は、指導に当たってから10年を経過しており、指導した技術は不動のものとなっていました。指導の範囲も東北東北三省に留まらず、中国全土へ拡がりをみせ、講演題目は「中国稲作を4倍に換えた技術」でした。

稲作に対する情熱と真面目さが際立っているので、当時の社長であった菅野祥孝は、原さんの虜になってしまったようです。また、自身が幼少期を過ごした中国の話に郷愁を覚えたこともあったのかもしれません。

スガノ農機は昭和15年に吉林省へ工場を移し、畜力用プラウやハローを製作していました。創業者豊治の人柄から現地の人に信頼され親しまれていました。満州の農業発展に貢献する企業であると、祥孝はよく豊治から聞かされていたそうです。ところが、終戦と同時に工場を失い無一文となり、一族郎党に引き上げる際には盗賊に襲われそうになったり、工場で働いていた人達に助けられたりで、苦労して日本へ引き上げることができました。上富良野に戻っての工場再開は、従軍していた長男の良孝の帰国は何時になるか皆目不明でしたので、中学生だった祥孝が、豊治の片腕となって工場再建に尽力しました。

中国について複雑な思いに囚われるのはやむを得ないでしょう。恨みも有り愛着もあったと思われます。原さんと色々な話をすることで中国に想いを馳せたと思われます。原さんとは講演後も交際は続いていたようです。

原さんの講演で特に面白いと感じられたのは、「中国での技術指導の立場から日本を省みると、高度の技術があると言われる日本でも、逆に後退しているところがある、それは何かというと、水田の縦浸透についてである。」という説明でした。水田の水は、24時間に20~25ミリ縦浸透すべきといわれていますが、日本では10ミリに達していない水田が多いのです。

中国の水田は、何れも適正な減水深を保っているので、これを見習えと言うのです。さらに、「適正減水深を保てないのは機械屋の責任だ。過度の代かきが原因で不透状態を形成しているのなら、即刻これを改善すべき。」と言うものでした。

原さんの真面目さは定評があります。農業の原理・原則を外すことは一切あってならないと言い切るのです。

祥孝は原さんの講演に感銘を受け、私に相談してきました。土壌管理や水管理が水稲の収量と品質に大きく関係しているので何とかしなければと考えるものの、アイデアに乏しく思案にあぐねるばかりでした。省力化に向けて区画も拡大しているので、ますます手の打ちようがないと困り顔でした。原さんに共鳴した祥孝は、土づくり関係のメーカーの責任として何とかしなければならないとの想いを固め、土づくりは畑作だけの問題ではなく水田にも同じ立場で挑む必要有りと覚悟を決めたようです。

丁度その頃、北農工はカリフォルニアの日系農家と交流するために視察ツアーを組みました。当地は、野菜や花卉、果物の産地として有名でしたが、それらの殆どは日系農家の取組みです。以前はメキシコから越境してくる安い労働力を使っていましたが、時代が変わり安い労働力を確保するのが難しくなってきたそうです。そればかりでなく、技術を習得して帰国した者が野菜や花卉を栽培してカリフォルニアに輸出を始めてきていたので、カリフォルニア農業は危機に瀕しているとのことでした。ここで改めて日本の緻密な技術を導入して新しい生産体制を整えたいという希望です。

参加したメーカーは16社で、幾つかの日系農家と技術交流をしながらサンフランシスコからカリフォルニアを南下していき、ロサンジェルスとの中間に位置する乾燥地帯では畑地潅漑を視察しました。大型のレインガンに驚かされましたが、野菜作りに畦間潅漑が効果的であり、低コストとのことで実際にどうするのかを視察することにしました。

ここで、我々は初めてレーザーレベラーによる整地を見たのです。

圃場を千分の一程度の勾配で整地し、畦は高い方から低い方に向かって立てます。高い方の水路からサイフォンパイプで畦間に水を流すと、水は静かに低い方に流れ圃場を十分に潤します。圃場が大きいので、削った土を効率をよく運ぶために、かなり大型のレーザーレベラーが使用されており、瞬く間に一定の勾配で広い圃場を整地していきました。

農家の話では、これは、イタリアの水田整地に使われている技術で、入水前に均平とする方法は、代かきをするにしても省力化できるとのことでした。

祥孝は、矢継ぎ早に質問をしていましたから、適正減水心を計るには、この方法がベターと考えたのではないかと思います。代かきは水を基準にして水田を均平化する方法です。この場合、どうしても練り込みが発生し、不透水層を形成してしまいます。

しばらくして、スガノ農機は日本式レーザーレベラーを開発しました。アメリカでの祥孝の見聞が大きなヒントになったことは間違いありません。

我が国は湿潤地帯ですから、乾いた状態での均平は考えませんでしたが、明渠を設け、心土破砕し、さらに深耕と水田表層の溝切りを行えば乾田化は不可能ではありません。乾田化に手間を要しても、増収と高品質化の向上を期待できるなら、費用対効果は充分であり経営的にプラスになります。

戦後、馬耕に代わって耕耘機が開発されます。その後トラクタの時代にはロータリテイラの時代を迎え、化学肥料が充分に使える時代となると乾土効果という言葉は何処かにいってしまいました。ロータリテイラ、ロータリ代かき機は、不透水層を形成し、水稲の収量・高品質化に悪影響を与え、非能率な低速作業で燃料消費量も多くなってしまいましたが、その流れは現在でも変わりなく、技術の進展を見ることができません。

一つの技術にしがみついていては、時代に遅れを取り、経営の破綻を招くことは必定です。

時代は常に移り変わるものであるとすれば、メーカーは新しい技術を開発する義務があると言えます。祥孝が、ことある毎に「企業は必ず潰れる」と言っていたのは、創業者精神を忘れ、小さな成功にうつつを抜かせば必ずそうなるとの警告だったのです。

企業としての社会的責任を認識し、敢然と新しさに挑戦する姿勢こそ生きる道と言いたかったと思います。

不練耕法の提言は、彼なりに随分勉強してのことであり、その努力に改めて敬意を表します。

農業の原理・原則は古今東西不変です。

その時代の技術をどのようにアレンジするかが課題であり、それを為し遂げて時代は進歩するものです。攻撃は最大の防御と言われていたことも思い出します。

 

26-1 カリフォルニア州のレーザレベラー

乾燥地帯では畑地潅漑を行いますが、野菜作などの場合は畦間潅漑が最も合理的なのだそうです。緩い勾配で整地し、上に水路を作り、その水路からサイフォンのパイプで畦間に水を流します。

 

26-2 畦間潅漑の状況

水は上から下へと静かに流れて畦間を満たします。大量の水を必要とするようでも、大雨が降ったと思えばよいとか、回数を少なくできるので、手間が掛からないと言います。余分な水は地下に流れるので、下流でそれを汲んで再利用すれば良く、それ程無駄にしている訳ではないと説明してくれました。

 

26-3 畦間に水を満たした状態

このファローイリゲーションは水の量が多い、水田のようだと考えられましたが、水田に限り連作が可能なのは、水が作物を吸収したミネラルなどを補填するからと考えられています。畑作でもこれだけの水が使えれば、地力保全が成立すると思えました。

 

26-4 レーザープラウ

プラウにレーザを取り付けて耕起する方式は、スガノ農機の独自の発想です。レーザーレベラーで均平にした際に、作土の厚さを均一にするにはプラウ耕起時に底部を均平にしておく必要があったためです。

 

26-5 レーザーレベラー

欧米の場合は、圃場区画が大きいので、運土量が多くなります。そのため均平板を大きくしていますが、小区画の場合はそれ程大きくする必要もありません。均平版の後部にスプリングタインを装備して浅く砕き、最後部にコイルパッカで鎮圧しているのも日本人らしい発想と言えます。

 

26-6 美唄市開発での水稲直播

美唄の佐藤功一さん達のグループは、水田の転作が開始された時から、麦作改善協議会を結成して全面積小麦に転作しました。しかし、20年連作を続けると連作障害が発生し水稲に戻すことになり、省力化の観点から直播栽培への取り組みを開始しました。

 

26-7 直播機械

泥炭試験地で、尾嶋農機の協力で独自の技術を組み立て、70ヘクタールの直播に成功した。20年小麦を栽培していたことから砕土しやすい土壌になっていて、これが幸いしました。平成10年(1998)に乾直の全国サミットが開催されましたが、北海道の技術が先行していました。

 

26-8 水田溝切り機

水田の表層を浅く溝切りすると、溝の下部両側から水が流れてきて、下方に浸透し、表層の乾燥が早まり、乾田化します。収穫直後からの手当が肝要であるといえます。

 

26-9 イタリアのレーザーレベラー(その1)

アメリカのレーザーレベラー方式を参考にしたと言われています。クローラトラクタの排土板にレーザを取り付けていましたが、最初のモデル機を現在でも有効に利用しているもので、結構役に立つようです。

 

26-10 クローラトラクタ・レーザ排土板の均平度

クローラトラクタは走行が安定しているので、均平精度は申し分ありません。仕上げ均平はホイールトラクタのレーザーレベラーを使うようです。ホイルトラクタは高速作業が可能であり、組み合わせることで合理的に作業できます。

 

26-11 イタリアのレーザーレベラー(その2)

一度均平にすれば、数年は均平作業をしなくともよいのではないかと考えられましたが、土層が厚く、安定しているようでも、微妙に凹凸が発生するので均平作業は毎年行う必要があるとのことでした。

 

26-12 均平精度

大型のけん引レーザーレベラーは軽快な作業であり、高能率機械です。圃場の隅の均平をどうするかが課題でしたが、フロントローダに排土板を装備したものがあり、それを使って解消しました。

 

26-13 ドリル

前部にスプリングタインが装備されており、若干表層を撹土して播種します。種子は空気圧送の精密播種方式。全体的に大型化していますが、我が国は独自の技術で構成しており、技術的に劣っているものではありません。