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耕すことの四方山話

12 スラリーローリの開発

トラクタ営農時代を迎え、深耕によって一時期は圃場の排水性は良好となりましたが、昭和50年代に入ると、僅かな降雨でも滞水する場所が散見され、水蝕も発生する例が見られるようになってきました。

家畜を追放したことで作土に有機物が不足しているためではないかとされましたが、圃場の有機物を調査すると、不足しているどころか、昭和30年代と比較すると多くなっていることが判明しました。てん菜や馬鈴薯の収量が多くなり、大きく繁茂した茎葉が鋤込まれているので、有機物の質には問題があるとしても、量そのものは多くなっていたのです。

さらに原因を探っていくと、大型機械の走行により下層土に圧密層が形成されていることが分かり、これが排水不良に結び付いていると判断しました。下層が排水不良であれば、その上に位置する作土の水分が多くなり、作物の生育を阻害するだけでなく、降水を受け入れる容量が少なくなり滞水しやすくなります。降水量が多くなれば流水となって水蝕を引き起こしてます。従って作土の改良よりも、下層土の排水性改善が急務だったのです。

サブソイラやプラソイラを活用するのは勿論として、排水性をより良好にし、かつ持続性を増すために籾殻などの疎水材を心土破砕と同時に封入する技術も検討すべきとされました。一方、平常的な下層土の排水性改善には、心土耕プラウ利用も便法とされました。ボトムプラウで30センチ、その下15センチをサブソイラで破砕すれば45センチの深耕です。大型トラクタ普及により、けん引力に余裕があるので難しい技術ではありません。
さて、トラクタ時代になって堆厩肥の畑地還元があまり行われなくなりました。地力減退の原因は、トラクタがもたらしたものではないかと言われ、数多くの議論がなされました。

畜力時代の北海道では、馬が30万頭で、乳牛や肉牛、豚や鶏はそれほど多くはありませんでしたが、豊かな有機物循環農業が展開されていたのです。
しかし、昭和50年代になると、馬は極端に減りましたが、乳牛は100万頭を越え、肉牛や鶏、豚も増え、糞尿は5倍近くに達しています。耕地面積に大きな変動はないので、以前よりも豊かな循環農業が出来る素地はあったのです。それが、どうして利用されていないのか、さらに調べてみると、経営合理化で分業化が進み、双方の間に距離が出来てしまったのことが要因であると判明しました。
畑作では堆厩肥が欲しい、畜産関係は堆厩肥を持て余し、その処置に窮しているのが実態だったのです。とすると、この距離をどのように短縮するかが新しい課題となりました。

双方を繋ぐインフラである道路は整備されいたので、効率的な運搬法をどうするについての議論が重ねられました。
トラクタが大型化しているので、20トン級の容量の大きいトレーラを使う方法もありますが、低速走行では時代の期待に応えることはできません。ここでは機動力を活用すべきとされ、トラックの利用に行き着きました。

当時のいすゞ自動車に、三軸駆動で傾斜地や軟弱路盤も軽快に走行できる。世界の名車と言われていた造材用の六トン車があり、その車両にスラリスプレッダを搭載し、スラリを畑作地帯に運ぶと同時に圃場に入って散布できるようにしました。
運搬能力、作業能力が高く評価され、注目されたのです。

さらに、マニュアスプレッダを搭載することで、これまでの常識を覆す技術となりました。トラックを圃場に走らせるのは、踏圧で圃場を踏み固めると警鐘を発する人もいましたので、踏圧を測定してみると、走行が十本のタイヤなので、トラクタとマニュアスプレッダでの作業よりも踏圧の影響が少なく、圃場を荒らすこともありませんでした。
その後はユーザーの期待に応えるべく、8トン車、10トン車に拡大し、利用範囲を広めるために作業機を互換できるシステムも開発されました。

当時、トラックが圃場に入って作業することは誰も考えていませんでした。時代が変われば、経営形態も変わるものです。必然的にそれに応じた技術も開発されねばなりません。トラックの農業利用は時代の要望だったのです。

馬鈴薯澱粉工場では排水を曝気発酵処理を行い、BOD600ppm以下にして河川に放流していました。廃棄物処理法が厳しくなり、51年規制が制定されました。基準を満たすには、処理施設の改善や増設が求められました。莫大な経費が生産費に上積みされては大変なので、何らかの工夫が必要になりました。

工場では馬鈴薯を摩砕してから遠心分離機を使って固液に分離します。分離後の液体はポテトジュースと呼ばれBODは、20,000ppmです。これを先に処理してしまえば、曝気施設を増設しなくても済むことになります。
そこで俎板に乗ってきたのがスラリローリです。ポテトジュースは有機物資源ですから、畑地への散布は、土作りにも寄与するものとされました。

多くの澱粉工場は、ポテトジュースを加熱し蛋白質を回収し、これを後に家畜の飼料用としていました。この加熱処理で殺菌されるので、散布しても病害虫を蔓延させることはありません。安全面も確保されたので、取り急ぎ現地試験に着手しました。ところが意外なことに難渋します。

ポンプで汲み上げてタンクに供給する際、泡が発生するのです。高い場所に汲み上げ、ポンプを使わずに供給する方法も駄目で、泡消しに様々な工夫をしましたが、決定打が見つからずに頭を悩ませていました。そんな時です。「ムダな抵抗をしないで、出てきた泡は、そのまま貯水池に戻してはどうか。生の液体が出てくれば、満タンである証拠なので、そこで蓋を締めて圃場に走れば良いのではないか」との提案があったのです。この提案で問題は解決しました。何でも無いことのようですが、現場の経験から生み出されたものなのです。

さらには三方コックを工夫することで、圃場での散布時に、泡を抜くパイプが自動的に空気の流入口となる機構を備えました。毎分2,000リットルの散布量ですから、密閉されていると真空状態になり、タンクが凹んでしまうのです。

圃場での散布幅は約12メートル、ポテトジュースは孔雀の羽の如く扇のように広がって、均一に散布されます。10トン車の場合、10トンを5分で散布できる高能率作業は、高く評価されました。地力増進の農業予算が使えることもあり、澱粉工場の経費負担を押さえることができたので、安堵したものです。

 

12-01 スラリーローリ10トン車

当初、6トン車からスタートしましたが、その高性能が認められ、8トン車からついに10トン車へと発展。大型トラックの農業への参入である。運搬するばかりでなく、圃場に入ってそのまま散布作業もできるので、トラック利用の新境地を拓いたと評価されたものです。

 

12-02 マニュアスプレッダ搭載10トン車

スラリーローリが活躍し始めると、スラリばかりでなく、堆厩肥の運搬、散布にもトラックが利用されてよいとされました。特に難しい技術が伴わないので、マニュアスプレッダが搭載されました。マニュアスプレッダとスラリローリが簡単に交換できるシステムも開発されました。